ボクたちに求められているもの

ボクたちに求められているもの

ボク達は何のプロなのか?
求められている物を提供できているのか?
そういうところも考えていかなければなりません。

基本的には「成績を上げる」と言うのが塾の役割になると思います。
一方でそれだけでは無い教育的な要素がもちろんあります。

ボクとしては後者も重視したいと思っていますが、これは数値化できません。
「非認知能力を育てます!」と言っても、育っているのか本当のところわかりません。
耳障りの良い言葉で、成績向上できなくても教育的な効果がありますと逃げることができてしまいます。
ボクはそれは嫌なんですね。

一方で前者は数値化できます。
そもそも勉強という題材が、それだけで魅力的で価値あるテーマになりうるものです。
「成績を上げることができなくて、他に何を指導できるのだろうか?」と思っています。
成績がすべてではないという事も強く思っていますが。

あまり他の要素に逃げなくても、成績にこだわることは教育的な価値が高いと思っています。
ですから、成績向上にこだわりを持っています。
自然なことだと思います。

成績向上を求められているのだろうか?

ただその一方で、成績向上を求められているのだろうかという疑問もあるんですね。
例えば次のような話です。
※プライバシーのため、若干話を変えています。

英語がわからなくなってしまったAさん
「Be動詞って何?一般動詞って何?」と苦手意識を持ってしまいました。
塾で一緒に勉強を進めていき、学校とはちょっと違った視点なども取り入れた解説が分かりやすく、成績が大きく改善します。
コツをつかんで得意科目にまでなってしまいました。
Aさんがテレビで英語のインタビューを聞いて、
「この人英語で~~て言ってる!」
と言ってましたとお母様からのご連絡。
「英語にポジティブになっている様子に感激しました!」

これは基本的には成績向上がトリガーとなっています。
でもそこに至る過程が違っていれば「英語は聞きたくもない」となっていたかもしれません。
ところが苦手だと思っていた英語を好きになり、ポジティブな様子にもなりました。

成績だけ上がっても、
「英語にポジティブになっている様子に感激しました!」
というお言葉は頂けないと思うんですね。
成績「だけ」上がる事に固執してしまうと、好きにはなれないかも可能性もあるからです。
「嫌々やって、とりあえず成績だけ上がったけど、できるものならやりたくない」
そういう状況になってしまう事も結構あるのかなと思います。

「成績だけは良くなる」というのは、ボクの望むところではありません。
勉強が勉強だけに閉じてしまうべきではないと思います。
「何かを学び習得するための力」
「困難なことでも諦めずに取り組んで達成したときの充実感」
こっちを学んでほしいがための勉強であり成績のこだわりなんですよね。

しかし、皆さまがそれを望んでいるのかと言うと、やはりそういう訳でも無いのかなと思います。
「とにかく成績を上げて、いい大学に進学させてください」というご希望もあるでしょう。

お客様毎にちょっとずつ優先する事は違ってくる。
これも当然の事なのかなと思います。

結論

と色々と考えるわけですが、ボク達の提供する教育というもののベースはやはり成績なのかなと。
成績が上がる過程で自然と様々な能力が身に付いていますからね。
そして「成績を上げることができなくて、他に何を指導できるのだろうか?」です。
ここが微妙なようでは信頼も無く、何を言っても聞いてもらえないですからね。

友達感覚で遊びに行く場所であればそんな事気にしなくていいのでしょう。
でもボクはそれはちょっと違うのかなと思ってしまいます。
子供ってすごい可能性を秘めているんですけど、でもやっぱり子供ですからね。
礼儀とか相手を敬う気持ちなどが損なわれてしまう事もあるでしょう。

そしてできるのであれば、お客様毎に微妙に異なるニーズにこたえていきたいですね。
「信念」を曲げることはしませんが、ご希望に沿えるものであれば沿っていきます。
※例えば「成績は蔑ろでいいのでパソコン教えてください」だとそれはできかねますね。

成績を上げる事を必須とし、プラスアルファとして何を提供できるのか。
幸い生徒様の頑張りで成績が大きく上がる生徒様も多数おられ、プラスアルファを考えることもできています。
※全員の成績が大きく上がるようにする努力も続けながら
これからもますます「通ってよかった」、「通えてよかった」と思える塾にしていきたいです。

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